execOnReady(function(){});

高野山開創の伝説・空海と白い犬と黒い犬との出会い

2017年9月28日高野山の歴史

高野山は空海が開創してから2015年で1200年の歴史を持つこととなり、今では世界中から年間200万人以上もの人が訪れる観光名所にもなりました。

空海が密教を広めるために高野山を選んだ理由に、白と黒の2匹の犬との出会いが伝説として残っています。

今回は、高野山の歴史として、まずは空海の生い立ちとともに高野山誕生の伝説を紹介したいと思います。

空海と仏教との関係

空海

空海はうどんで有名な讃岐の国、香川県の善通寺で774年(宝亀5年)6月15日に産まれました。

本名は佐伯真魚(さえきまお)というのですが、真魚と仏教との間に何があったのかは分かりませんが、何と7歳の時にすでに、仏道で多くの人を救いたいので願いが叶うなら命を救って下さいと家の近くにある捨身岳(しゃしんがたけ)の崖から身を投じます。

そこへ釈迦如来と天女が現れ命を救われたので、後に捨身岳の山上に四国八十八ヶ所霊場の第73番札所『出釈迦寺(しゅっしゃかじ)』を建立したという逸話が残っています。

その真魚は18歳の時に大学に進み、そこで儒教の勉学に励むのですが僅か1年で中退し、儒教を信仰していた親族や周囲に対し、仏教こそが儒教や道教よりも優る唯一の教えだと仏門の世界に入る宣言書『聾瞽指帰(ろうごしいき)』という書を24歳の時に書き残しました。

こうして仏教の世界に飛び込んだ真魚は、奈良吉野の金剛山や伊予の石鎚山などで修行に励み、土佐の室戸岬にある御厨人窟(みくろど)では口の中に虚空蔵菩薩の化身の明星が飛び込んで来たと伝えられています。

この時に御厨人窟から見える景色が空と海だけだったので、後に空海と名乗ることになったとも言い伝えられています。

空海と遣唐使との関係

遣唐使
遣唐使 posted by (C)ローリングウエスト

空海が仏教の勉強をしに遣唐使と一緒に唐に行ったのは有名なので知っている人も多いと思いますが、実は空海を留学生として唐に行けるように任命したのが誰なのかは未だもって謎のままとなっています。

804年(延暦23年)、空海は唐へと渡るのですが、この時に一緒に行ったのが後の天台宗宗祖となる最澄(さいちょう)や橘逸勢(たちばなのはやなり)、そして中国で三蔵法師の称号を与えられた霊仙(りょうせん)でした。

最澄はこの時すでに天皇の護持僧(ごじそう)となっており、当時の仏教界で確固なる地位を築いていましたが、空海は全くの無名、一介の修行僧でしかありませんでした。

空海は、唐の都・長安で醴泉寺の般若三蔵に師事し密教では欠かせない梵語(ぼんご・サンスクリット語)を学び経本や新訳経典を授かります。

その後、密教の第七祖・青龍寺の恵果和尚(恵果阿闍梨)に師事し密教の奥義を伝授した空海は大日如来を意味する『遍照金剛(へんじょうこんごう)』の灌頂名(かんじょうめい)を授かり、正式な真言密教の伝承者・第八祖として密教の奥旨(おうし)を全て授かりました。

しかし恵果和尚は、806年1月12日に空海に1日でも早く日本に帰り真言密教を広めるようにと言い残し亡くなりました。

高野山誕生秘話、空海と白い犬と黒い犬

空海と猟師と2匹の犬
空海と猟師と2匹の犬 posted by (C)高野山教報 第1566号より

空海は恵果和尚が亡くなった後の806年8月、空海より遅れてやってきた遣唐使が帰国する船に強引に乗り込み、帰国の途へと着きます。

その間際に、明州(現在の寧波)の浜辺から日本に向けて投げたのが、あの有名な八祖相伝の三鈷杵(さんこしょ)でした。

この話はかなり有名なので知っている人も多いと思いますが、三鈷杵とは密教の法具のことで、空海は日本の何処で真言密教を広めればいいかと問いながら東の空に向かって投げたのです。

その三鈷杵が高野山にある松の木に引っかかっていたので、ここに修禅の道場を開くきっかけになったのですが、そこまで道案内をしたのがこれからお話しをする白い犬と黒い犬です。

2匹と犬と2人の神様

帰国後、空海は何処で密教を広めればいいのか探す旅をしていたところ、ちょうど奈良の山中で白と黒の2匹の犬を連れた猟師に出会います。

空海が道場を開くのにいい場所はないかと尋ねると、その場所を知っているのでこの犬に案内をさせましょうと言い、空海はその2匹の犬に導かれるまま進みます。

途中、高野山の中腹にある神社まできた所で一晩を明かし、そこで猟師から山人を紹介されます。

今度は山人に三鈷杵の事を話したところ、南の方に沢がある平原があって、そこがあなたの求めていた地だと案内します。

途中、山人は私はこの土地の主で、あなたにこの領地を差し上げようと告げました。

唐から投げた三鈷杵の発見

いよいよ、目指していた平原にきた時、1本の松の木に光り輝く三鈷杵が引っかかっていたのを見つけます。

それを見て空海は山人に、あなたはいったい何方なのかと訪ねたところ、昨日の猟師は狩場明神(かりばみょうじん)で自分は丹生明神(にうみょうじん)だと告げ姿を消します。

空海は、真言密教の根本道場を開くのはこの場所をおいて他にはないと、816年(弘仁7年)時の嵯峨天皇(すがてんのう)に許可をもらい、高野山の七里四方に結界を結び、一番最初に今の壇上伽藍に狩場明神と丹生明神をお祀りする御社を建てました。

こうして、白と黒の2匹の犬と猟師、山人の両神によって空海が目指していた理想の真言密教の道場が開かれることになったのです。