NHKの旅番組『ブラタモリ』の2回目の高野山の放送では、タモリさんがニ大聖地になっている壇上伽藍と奥の院から紹介してくれます。
壇上伽藍では一山の総本堂となる金堂で空海が伝えたかった真言密教の教えを、奥の院では一の橋から御廟までの数々の墓碑や供養塔を、最後に高野山霊宝館に行って若き空海直筆の書を拝観し感動していました。
壇上伽藍金堂にある空海が伝えたかった密教とは?
さて、『高野山は空海テーマパーク』の2回目になる放送ですが、町石を辿りながら着いた壇上伽藍には真言密教のシンボルとなる根本大塔が青空の中で朱色に映えていました。
空海は31歳の時に遣唐使として中国に留学し、密教の一番偉い恵果和尚から密教を継ぐのはあなただと指名され、僅か1年で優秀な成績を収めて帰国し壇上伽藍を開きました。
その空海が考えていたこと、真言密教の教えが金堂の内陣に隠されています。
金堂にある曼荼羅とは?
高野山一山の総本堂になる金堂の内陣には、左右の壁に曼荼羅という大きな掛け軸があり両界曼荼羅と呼ばれています。
右手には胎蔵界曼荼羅、左手には金剛界曼荼羅があり、この2つの曼荼羅がなかったら空海が伝えたかった真言密教の教えは伝わらなかったとされています。
胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)
胎蔵界曼荼羅は物質的な広がりを表していると考えられていて、真ん中に中心となるエネルギーがあって四方八方に広がっている物質的なものを表しています。
例えば、中心に太陽という大きなエネルギーがあって、その周りに太陽系の星々が散りばめられているとか、細胞には核が中心にあってたくさんの仕事をしているとか、周囲と密接に関係している物質の世界を表しているそうです。
金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)
金剛界曼荼羅は9つの世界に分かれていて、それぞれが時間の概念をもつストーリーとして繋がっています。
中心となるのは真ん中ですが、右の一番下の世界から始まって反時計方向に回り最後に真ん中に到達するとか、真ん中から始まって下りていくといった感じだと金剛峯寺の方が説明していましたが、何だかよく分かりませんでした。
例えば、ビッグバンが始まって太陽が生まれ、色んなストーリーを奏でながら50億年で消滅するまでとか、いわゆる目に見えない精神の世界を表しているそうです。
高野山全体が曼荼羅の世界?
物質の世界の胎蔵界と精神の世界の金剛界の2つの曼荼羅で宇宙の真理を表しているそうですが、もはや何が何だか私にはちんぷんかんぷんです。
そこで考え出されたのが高野山の参詣ルートを描いた、言わば高野山のイラストマップのようなものです。
8つの花びらを持つ蓮華の花の中心には根本大塔がある壇上伽藍が描かれていて、そこから伸びた茎の先の葉っぱにはタモリさんが最初に行った慈尊院が、その茎はタモリさんも歩いた180町石があった参詣道が描かれていて、これが物質の世界の胎蔵界を表しています。
前回の放送で紹介された180の町石は胎蔵界の仏様でもあったんです。
一方、根本大塔から空海が今も生きているとされる奥の院までは精神の世界の金剛界を表していて、高野山全体を参詣することで空海の教えとなる胎蔵界と金剛界を現実の世界で体感することができる、空海テーマパークの仕掛けの一つが施されていたんです。
金剛界の世界へ
根本大塔から奥の院までは金剛界の世界で、弘法大師御廟までに金剛界の仏様を表す36の町石が立てられています。
奥の院表参道の入り口には17町石があり、あと19町石で御廟までたどり着けることになります。
その奥の院表参道の始まりは一の橋という小さな橋で、そこに1歩足を踏み入れると、いきなりたくさんのお墓が視野に入ってきます。
一の橋から御廟まで
ここから空海の御廟までは約1.5kmですが、その間には約30万ものお墓や供養塔が並んでいるそうで、あらゆる人々の魂が集うまさに精神の世界が広がっています。
ここでは番組で紹介されたお墓などを順に紹介します。
奥州仙台伊達家墓所
筑後柳川立花家墓所
五輪塔
下から、地、水、火、風、空の5つの要素で宇宙の成り立ちを表した仏塔のことで、空海のもたらした真言密教の中心となる大日如来のシンボル。
鶴田浩二の墓
加賀前田家墓所
薩摩島津家墓所
小田原北条家墓所
これは墓所を示した石だけ。
武田信玄・勝頼墓所
向かって左の大きい方が武田信玄、右が勝頼。
上杉謙信墓所
五輪塔ではなく廟となっており、中に上杉謙信、景勝の位牌が入っている。
織田信長墓所
明智光秀墓所
石田三成墓所
敵将どうしのお墓が奥の院にある理由
真言密教では、お釈迦様が入滅して56億7000万年後に弥勒菩薩が現れ人々を救済するとされる教えがあります。
その弥勒菩薩が現れるとされる3つの場所の一つが奥の院だと言われていて、その時には、弘法大師空海も通訳として現れるらしいのです。
つまり、奥の院に眠る方々は弥勒菩薩が現れる56億7000万年後に期待していて、そのベストポジションが奥の院になるそうです。
一石五輪塔
庶民の人が高野山での供養を求めて置いた供養塔(石)で、古いものは室町時代からあり、今は土の下に埋もれてしまっているものも多い。
一の橋からの参詣道は新しく作られたもので、その時に出てきたものが数多くある。
パナソニック墓所
クボタ墓所
企業碑とは、企業が会社の物故者の慰霊などの目的で建てた石塔のこと。
ふぐの供養塔
下関でふぐの料理をしている人達が建てたふぐの供養塔。
奥の院にはふぐやシロアリと言った人以外の供養塔がある。
弘法大師御廟
タモリさんたちは一の橋から歩くこと約2時間、いよいよ空海が今も生きているとされる御廟までやってきました。
しかし、御廟橋より先は聖域中の聖域となるので天下のNHKでもテレビ撮影は禁止です。
でも、前に所さんがやっている番組ではテレビカメラが御廟(燈籠堂)まで入っていったんですがね。その時の番組も紹介しているので、『所さん』で検索するかこちらのページをご覧ください。
ちなみに、御廟橋の手前では帽子を脱いて合唱して入りますが、ここまで弘法大師がお迎えに来てくださっているとされています。
帰りも御廟橋で御廟に向かって合唱するのを忘れないようにして下さいね。
空海を身近に感じられる日々の行いとは?
空海は今も生きているので、毎日2回、朝の6時と10時30分に御供所横から御廟までお食事を運んでいます。
その食事を味見するのが嘗試地蔵(あじみじぞう)で、生身供(しょうじんぐ)と言われるこの行事は1200年もの間途切れることなく続けられています。
食べられる料理はもちろん精進料理で肉や魚はないのですが、ニンニクとかニラなどの臭いのキツイものや味の濃いものも出されません。しかし、パスタとか焼きそばとか現代風の食事も出されています。
このお食事を運ぶ光景は一般の人も見ることができるので、奥の院に行った時には偶然に見ることができるかもしれません。
高野山霊宝館で空海を感じるお宝を拝見
霊宝館は高野山にある貴重な文化財などを収蔵している所で、毎年2回ほど、テーマを変えて一般公開もしています。
今回、タモリさんたちは霊宝館館長さんの特別なはからいで、空海が若いころの直筆の書(巻物)を拝見することができました。
それは、仏教に目覚めた24歳の空海がその素晴らしさをといた書で、人々を助けるために仏教に入るという出家宣言書です。
この空海直筆の書は聾瞽指帰(ろうこしいき)と言われ、高野山三大秘宝の一つで国宝に指定されています。
番組を見て
今回の番組では、高野山は空海テーマパークの第二弾として、空海が考えた密教の教え、それを伝えるための曼荼羅の世界の仕掛け、そして空海が身近に感じることができる空間が紹介されていました。
高野山は空海テーマパーク……最初は何のことだかよく分かりませんでしたが、今回の放送で慈尊院も含めた高野山そのものがまさに真言密教の世界、曼荼羅の世界でありそれを分かりやすく伝えるべく空海の仕掛けが施されていたんですね。
まさに、高野山は空海テーマパークでした。
9月9日に放送された第一弾の紹介はこちらのページになります。
9月23日の放送内容についてはこちらのページをご覧ください。