2017年9月9日にNHKで放送された『ブラタモリ』、高野山は空海テーマパーク!?と言う番組タイトルが付いていたのですが見なければ何のことかさっぱり分かりません。
さて、この番組を見逃してしまった、録画を忘れたよ~という高野山ファン?の方のために、番組の内容を要約してご紹介したいと思います。
録画した動画をアップロードするのは違法となるので、キャプチャ画像を見ながら解説していきますね。
高野山の正式な参詣道
まず、番組の最初にタモリさんとアシスタントの近江アナウンサーが立っていたのは、高野山の麓、九度山の紀ノ川北岸の土手の上、実は高野山への正式な参詣道はここから始まるんです。
今回、番組でその案内をしてくれたのは高野山大学の木下さん、それでは番組のテーマになっている『高野山は空海テーマパーク!?』の謎を見ていきましょう。
空海は超天才!?
日本に真言密教をもたらした弘法大師こと空海、平安時代の人ですが語学堪能、医学にも精通していて薬学や土木工学とあらゆる分野において優秀だったと言われています。
おまけに字が達筆だったということで、私も弘法大師の爪の垢でも煎じて飲みたいくらいです。
さて、案内役の木下さんのお話しでは、空海は理想のお寺を高野山で開いたらしいのですが、それを継ぐ人達によって『空海テーマパーク』ができたと言うのです。
テーマパークと言っても何が何やらさっぱり分かりませんが……?
高野山への道、高野七口街道
高野山へは高野七口と言って7つのルートがあって、それぞれぞの地域から行くことができました。
今では世界遺産で有名となった熊野からは熊野道というルートが、京・大阪道は後からできたルートで京都や大阪で遊んできた人たちが参詣に来ていたそうです。
その7つのルートの中から、今回は、空海も実際に歩いただろうと言われている高野山への正式な参詣道を紹介しています。
高野山の正式な参詣道・町石道(ちょういしみち)
→町石道PDFファイルのダウンロードはこちら
町石道は、空海も実際に歩いたとされる正式な参詣道です。
昔は紀ノ川の南岸に渡し船が着くところがあって、そこから高野山の中心部となる壇上伽藍までの間に町石(ちょういし)と呼ばれる、一種の道しるべを180本も立てたそうです。
今回、タモリさんたちは、その町石を探しながら正式な参詣道をブラブラと歩いていきます。
町石道の地図を印刷して見ながら読んでくださると分かりやすいです。
昭和30年頃まであったその船着き場が高野山参詣の正式なスタート位置で、そこには、籠や馬に乗っている人も下りて歩きなさいと示した3mはあったとされる石碑(下乗石)があったのですが、現在は慈尊院というお寺の山門の左側に移され、今では上の方の一部しか残っていません。
後醍醐天皇の父にあたる後宇多上皇もここに来て、念願の高野山に来れたと涙を流し、船着き場のこの下乗石の所で初めて草履を履いたと言われています。
つまり、ここからは上皇でさえ歩いて行かなければならないと言う空海テーマパークの仕掛けが作られていたんです。
高野山まであと180町
下乗石がある慈尊院の山門をくぐり中に奥に入っていくと丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)という神社があります。
この丹生都比売神社へとつながる階段の途中、右側に下乗石の次の町石があります。
その町石には文字が刻まれていて、タモリさんが解読していましたが『百八十町』と書いています。
これは、高野山の中心部まであと180町ありますよと示していて、1町は今の単位で約110m、つまり残り20kmほどで高野山にたどり着けますよと言う道しるべで、今で言う道路標識のようなものです。
昔の地図にもこの町石が描かれていて、高野山までの道のりには今も180もの町石が残されています。
町石に隠された仕掛け
この町石は、百八十町の次は百七十九町、その次は百七十八町と一つづつ減ることで1歩づつ高野山へ近づいていることが体感できる仕掛けになっています。
さらに、町石にはもう一つ重要な意味があって、その上部が五輪塔になっていて宇宙の成り立ちを表しています。
五輪塔は、空海がもたらした真言密教の中心となる仏様、大日如来のシンボルであり、すなわち石町そのものが仏様になるのです。
つまり、高野山までの道のりで1本1本の仏様を見ながら歩いていたことになります。
後宇多上皇はこの町石、すなわち仏様を熱心に拝みながら歩き、途中で気絶してしまったという言い伝えも残っています。
この町石が置かれたのは鎌倉時代になってからで、空海が高野山を開いてから450年という節目の年に始まった当時の一大プロジェクトでした。
空海が歩いたこの道は祈りの道とされ、極楽浄土へ行けると信じられるようになりました。
この参詣道は、一歩踏み入れたことで地獄には行くことがないと言う信仰があります。
町石を一つ一つ参詣することで前に進む活力となり、たくさんの仏様に救いを得られる、これこそが『空海テーマパーク』の仕掛けだったんです。
ちなみに、この正式な参詣道を歩くと約21km、時間にして6時間25分ほどかかるそうです。
タモリさんがワープ、辿り着いた先は……
タモリさんたちは百七十五町まで行ったのですが、さすがに番組のロケなので6時間もかけて歩けません。ここから先は車で一気に移動です。
麓から高野山へと繋がる国道480号線沿いからロケ再開、大門の700mくらい手前には七町石があり、それを通り過ぎると左手にいきなり大きな朱色の門が見えてきます。
これが高野山への総門となる大門なんですが、実は正式な参詣道から登ってくると九町石を通り越して少し歩くと目の前にいきなり大門が見えてきます。
八町石はと言うと今の国道と高野山へ入る交差点にあり、七町石は大門の左側にある鳥居の所にあるんだそうです。
大門から見た高野山の町並み
高野山の総門、大門をくぐるといきなり開けた町並みが見えてきます。
高野山は東西におよそ4kmあり、多い時には最大で2000もの寺院などが建ち並んでいたそうです。
大門を一歩くぐれば夢のような町並みが目に飛び込んでくる、まさにこれこそが空海が考えたテーマパークなんです。
一方、女性はと言うと大門はくぐれたのですが、そこから先は女性が入ってはいけない女人禁制が1000年以上もの間続きました。
そこで高野山を取り囲むように道がつくられ、女性はその道の途中で首を長くして見たと伝えられ、昔の地図にはロクロ峠と名付けられた峠まであります。
女人禁制は明治5年に解禁され、今ではもちろん女性の方も自由に参詣、観光ができます。
一町石のある壇上伽藍と三鈷の松
最後の町石になる一町石を目指してタモリさんたちがたどり着いたのは、一段高くなっている壇上伽藍(だんじょうがらん)です。
伽藍とはお寺のことで、ここが空海が一番最初に開いた修行の場所で、今回の番組テーマになっている空海テーマパークのメインステージとなる場所です。
一町石は、その壇上伽藍への入口となる中門の左側にあり、前の道から見つけることができます。
空海と縁が結べる三鈷の松の3本の葉っぱ
壇上伽藍への入口となる中門をくぐると、その正面に高野山の中心となる行事が執り行われる金堂が見えてきます。
さらに進むと、朱色に輝く一際大きい塔が見ててきますが、これが町石のゼロ番(町石はありません)となる根本大塔です。
その根本大塔の近くにそびえるのが、空海が高野山を開くきっかけとなった松の木です。
空海が唐(今の中国)に密教の勉強に行った帰りに、密教を開くお寺は何処がいいかと三鈷杵という仏具を投げたところ、この松の木に引っかかっていたので三鈷の松と呼ばれてます。
この松の木には、空海とご縁を結ぶことができるとされる葉っぱがあって、それが珍しい3つの葉っぱで四つ葉のクローバーのように縁起がいいと言われています。
偶然にも見つけることができた近江アナウンサー、空海と縁を結ぶことができました。
これから高野山に行って見つけたら、財布の中に入れておくと良いそうですよ。
六角経蔵
鳥羽上皇の妻が夫の供養のために自筆で写したお経、約5000典ほどを収めていた経蔵です。
下の方に突起があって、それを持って時計方向に1周すると仏教の経典をすべてお唱えしたことになります。
言ってみれば、空海テーマパークのアトラクション、このような色んな工夫があるから空海のもたらした仏教の世界を身近に感じることができるようになっています。
さて、9月9日の番組はここまで、まだまだ空海テーマパークは次週に続きます。
9月23日放送分ができあがりました。