弘法大師・空海が入定されたのは3月21日でした。
その21日にちなんで高野山名物の精進料理が2100円で食することができます。
精進料理とは言え、その味は格別なもので古くから受け継がれてきた高野山伝統の味を堪能できますよ。
※一乗院精進料理 本文とは関係ありません。
お大師様の日の精進料理について
精進料理となると皆さんは有名な花菱や宿坊で泊まったときにしか食べれないと思っていませんか?
しかし、前もって予約をしておけば昼食を一部の宿坊寺院で食べることができるんです。
高野山伝統の本格的な精進料理がその寺院で食することができるんですからありがたいものです。
そして、その精進料理を一律2100円(税込)で食べることができるのが毎月21日なんです。
ただし、このお値段で昼食が食べれる宿坊に関しては高野山宿坊協会にお任せとなります。
詳しいことは宿坊協会のサイトでご確認下さい。
入定とは?
さて、高野山というよりも仏教のお話しによく出てくる入定(にゅうじょう)という言葉。
いまいちピンとこない方もいるかも知れませんが、入定とは真言密教では究極の修行に入ることを言います。
一部では入滅、つまり亡くなった日と勘違いをしている人もいますが、真言密教では何も食べずに座禅正坐して禅定(ぜんじょう)に入ることを言います。
空海は835年3月21日、62歳にて自分の予言どおりに奥の院に入定しました。
弘法大師が今なお生きて冥想を続けていると言い伝えられる理由は、入定中なので今なお修行をしていることからきているとされています。
それ故に今も毎日欠かすことなく2回のお食事が運ばれ、年に1回の御衣替えが執り行われています。
弘法大師とは?
ところで、空海が入定されたのは835年のことです。
今では弘法大師と称されるのが一般的ですが、この弘法大師の諡号(しごう)を賜ったのは何と入定してから86年もたった921年でした。
当時の醍醐天皇のもとに、自分の衣が破けてしまっているので新しい衣が欲しいと夢枕に立たれたことから、東寺の長者だった観賢(かんげん)に弘法大師の号と新しい衣を託しました。
観賢僧正が空海のいる廟所の石室を開けたところ、髪の毛や髭が伸び朽ち果てた衣姿の空海がまるで生きているかのような姿で座っていたと伝えられています。
観賢は空海の髪の毛や髭を剃り、新しい衣と取替えて弘法大師の号を報告したのですが、この時に観賢と共にしたお弟子さんが空海に触ると霊妙な香りが手につき一生消えなかったそうです。
奥の院伝説
※所さんのニッポンの出番!より
実は御廟の石室(石官?)は観賢が閉じて以来、開けられたことが一度もないと言われています。
故に御廟には空海の即身仏(そくしんぶつ)、つまりミイラがあると言われるようになりました。
しかし、この説には大きな誤りがあって、空海は即身仏になったのではなく即身成仏(そくしんじょうぶつ)されたのです。
即身成仏とは、体はそのまま現世に残して悟りを開き仏になることで、空海は生死の世界を超越した究極の行を果たしたのです。
従って、御廟の地下に空海のミイラがあるとされる伝説は単なる噂話にしか過ぎません。
お大師さまはやはり今なお生きて人々のために瞑想されているのです。